『岩戸開き』第12号 特集「霊術・シャーマニズムで、危機を乗り越え、神に至る!」連動、オンライン特別記事

卑弥呼

 - 古代日本邪馬台国を鬼道で統治した伝説のシャーマン -

 

「卑弥呼」の記載がある『魏志倭人伝ぎしわじんでん』という名の書物は無い

古代の日本についての記載がある書物として学校の歴史で登場する代表的な歴史書に「魏志倭人伝」があります。「漢書地理志」、「後漢書東夷伝」と並んで、俗に三大倭人歴史書などと呼ばれているようです。その中でも特に有名なものが邪馬台国とその女王についての記述が見られる「魏志倭人伝」です。誤解されがちなことですが、「魏志倭人伝」という名の書物は実は無く通称です。正式には陳寿によって書かれた歴史書の『三国志』の中の魏書の30巻にある、「烏丸鮮卑東夷伝倭人条うがんせんびとういでんわじんじょう」の部分ということになります。

魏志倭人伝

 

この「魏志倭人伝」には、邪馬台国には卑弥呼という女王がいて、鬼道を用いて統治しており、弟が統治の補佐をしていたこと、卑弥呼の死後には男の王が治めたが国が纏まらず、卑弥呼の13歳になる宗女(同族一族の女性)の壹與いよまたは台与とよが国を治めたことが書かれています。

卑弥呼の使者が景初2年(西暦238年)に魏の首都である洛陽を訪れ皇帝に拝謁を求めた。そのときの皇帝は、2代曹叡になります。また異説の景初3年(西暦239年)に訪れたとすれば3代曹芳になります。魏の建国の祖で三国志の英雄として有名な曹操の孫またはひ孫ということになります。

 

記載から見る「卑弥呼」、「鬼道」について

「魏志倭人伝」の記載で、卑弥呼と鬼道については、次のように記されています。

「其の国、本亦、男子を以て王と為す。住まること七、八十年、倭国乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち一女子を共立して正と為す。名は卑弥呼と日う。鬼道を事とし、能く衆を惑わす。」

 

この記載部分が「魏志倭人伝」中のほぼ真ん中部分にある記載です。

属国と非属国の記載が見られるので、卑弥呼は複数の国にまたがる地域を統治していたことが分かります。卑弥呼の死後に一族の女性が王位に立てられた記載から、女性の鬼道を用いたシャーマニズム文化が、当時の日本には存在していたことが推測されます。

卑弥呼の治めた邪馬台国の時代(3世紀中頃)からヤマト王権成立までの時代(4世紀初頭)については、明確な歴史的記録が、現在の所見つかっていません。この歴史の空白期間があることも、卑弥呼後の歴史的展開(邪馬台国から大和王朝への展開)と『古事記』『日本書紀』の建国神話との関連への興味を掻き立てられる一因になっています。シャーマニズムの神秘に彩られた、いにしえの卑弥呼への私たちの思いは、古代の歴史への想像をより高めてくれています。

 

文/齋藤啓太

 

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『正史三国志4』
陳寿 /裴松之 著
今鷹真 訳
筑摩書房
1,500円+税

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