雑誌『岩戸開き』で、「自由への旅路」を発信中の若き覚者、ヘルメス・J・シャンブさん。
意識探求にまつわる数々の書籍は、いずれも大好評!
この連載では、真理探究の道で出会った“真我にまつわる聖典の教え”をメインテーマに発信していただきます。

「道なき道を歩む」第二回 考えることが、いったい何の役に立つというのか?

第二回の今回も、前回同様、『アシュターヴァクラ・ギーター』(ナチュラルスピリット)の一節を引用したいと思います。

 

 考えることがいったい何の役に立つというのか?

『アシュターヴァクラ・ギーター』(ナチュラルスピリット)より、15 澄み切った気づきの空間 20

 

もう十五年以上も前に、何かの書籍で、「あなたが仮に何を考えようとも、それは全く重要ではない」、このような台詞を読んだことがあります。「何を考えても無意味である」と。
今回の引用文も、同じ意味になります。

いくら何を考えても、幸福にも平安にもならない。

これを知った時、束縛の一切が解き放たれることでしょう。なぜなら、自分を束縛しているのは、他でもない自分自身の考え、信念だけだからです。
「これは、こうだ」と決めれば、そこですでに限定や束縛が起こり、境界線や壁もまた生まれ、対立を生み出し、「違う」と不満が起こる。

自分が幸せになるために、条件が必要でしょうか?
〇〇が、△△になったら、私は幸せになるだろう・・・、本当でしょうか?
「これは、こうだ」。それで、幸せになるのでしょうか?

考えることは、あなたの幸福と平安に、役に立つでしょうか?
もちろん、仕事では特定のことを考えなければいけないでしょう。けれども、自分に不幸や不満をもたらす考えは、必要でしょうか?
「私はこの仕事ができる、できない」と考える時、善悪が生まれ、差別や区別、そして対立もまた生まれるのではありませんか?
「なんで、私がこの仕事をしなければいけないの?」

自由や束縛のことでさえ、考える必要があるでしょうか? 仮にあるとするなら、その心の状態とは、どのようなものなのでしょう?


苦しい心だけが、自由のことを考える
のです。
もしも自分が自由なら、自由とは? など、考える必要もないでしょう。
そもそも、不必要な考え、つまり思考とは、体験や経験に関係しているものではないでしょうか? そして体験や経験を重要視するなら、必ずそこに「私が」というものがあるのです。
「私が考えている」と思う必要があるでしょうか?

実際、仮に「考え」があるとしても、そこに「私が」というものがなければ、何も問題にはならないのではありませんか?

さて、あれやこれについて、考えることが、どれだけ重要なのでしょう? 本当に役に立つのでしょうか?
実際、人は何も知らないほうが、ずっと幸福で、平安なのです。

実在は、幻想を知りません。
何も知らないのです。
それは至福です。
自由や束縛のこと、そのような一切の概念がないでしょう。

人を・・・、自分を縛り付けているのは、記憶ではありませんか? 考えや信念の束なのです。その集合体を、「自分だ」と勘違いしていないでしょうか?
けれども、「真我=実在」は記憶ではないのです。

人は、知識を求めます。知らなければならない、そして、知ることで自分は成長し、素晴らしい存在になると錯覚しております。
が、その成長とは、結局どのようなことなのでしょう?
どれだけ知識を持っているのか、ということが成長でしょうか?
それでは、ロボットや機械には敵わないでしょう。彼らのほうがずっと成長します。

知識を得なければならない、とは恐ろしい強迫観念です。
知識を求める知的欲望に染められると、心は非常に不安定になり、知らないことに対してひどく恐れます。焦燥感、妬みや嫉妬。優劣。
つまり、知識を重要視すると、知っていることで傲慢になり、知らないことで不安、心配に襲われることになります。ますます、パソコンや何かにへばりついてしまうでしょうが、そこで得るものとは結局、不安定になる要素しかないのです。

何も知らない人は、幸せです。
無頓着、楽観的な人は幸運です。
逆に、「これはこうあるべきだ」という細かい信念がある人ほど、胸が締め付けられるように窮屈で、怯え、恐れています。実は、欲求不満で仕方がないのです。だから人を批判したり、非難したり、攻撃するのです。

自分を何らかの条件で縛りたくない、束縛したくない、自由でいたいなら、あるいは幸福であり、平安の境地に安らぎたいのなら、知識は必要ありません。
むしろ、愚かな信念を構築する知識を放棄しなければならないのです。

考えることがいったい何の役に立つのか?

知識や思考そのものは、平安や幸福、至福には無関係です。もし仮に、知識がそれらを達成する要素として必要不可欠なら、差別や不平等の世界が必要だということにもなるでしょう。
知る人と、知らない人。

人は、本来無一物。
その純粋さの中で、差別なく区別なく、不平等のない世界にこそ、私は暮らしたいと思う。
もしもそのように思うなら、その世界に意識を合わせなければなりません。
なぜなら、心の絶対的な法則とは、心は自分の信じている世界を体験する、というものです。心は、自分の信念のみを見ているのです。

あなたが仮に何をどのように考えようとも、何の意味もない。

意味がないからこそ、その世界は幻想なのです。
意味のある世界は、意味があるので、実在です。
その実在の世界には、確固たる意味がすでに在るので、その他のどのような知識も必要ないのです。

 

紹介された本

『アシュターヴァクラ・ギーター』
トーマス・バイロン、福間巌訳
ナチュラルスピリット
1,800円+税

誰によって、いつ書かれたかは定かではないが、時を経て愛される一冊。ラマナ・マハルシ、ラーマクリシュナ、ヴィヴェーカーナンダ、ニーム・カロリ・ババ・・・古来より、インドの聖賢すべてに愛され、賛嘆され、語り継がれてきた真我探求のための聖典。

ヘルメス・J・シャンブ
1975年生まれ。30代前半、挫折と苦悩を転機に、導かれるように真理探求の道に入る。さまざまな教えを学び、寺で修業し、巡礼の旅に出るが、最終的に「全ては私の中に在る」と得心、悟入する。数回に分けて体験した目覚めにより、ワンネス(一つであること)を認識し、数々の教えの統合作業に入る。「在る」という教えは、これまでの師たちの伝統的な教えであるため、師たちの名前を借りて「ヘルメス・J・シャンブ」と名乗り、初著作『“それは在る』を執筆。 その後『道化師の石(ラピス)』『ヘルメス・ギーター』、独自の世界観を小説で表現した『プルートに抱かれて』などを刊行。現在は、ナチュラルスピリットの個人セッションなどで、探求者たちに教えを伝えている。

https://twitter.com/hermes_j_s
https://note.com/hermesjs

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ヘルメス・J・シャンブ 著
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ヘルメス・J・シャンブ
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『へルメス・ギーター』
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