ヘルメス・J・シャンブの「道なき道を歩む」/第一回 たちまち

B!

2013年に彗星の如く現れた若き覚者、ヘルメス・J・シャンブさん。初の書籍『 “それ”は在る』(ナチュラルスピリット)以降、意識探求にまつわる書籍や情報を次々と発信。現在、雑誌『岩戸開き』でも「自由への旅路」を連載中です。ウェブサイト「岩戸開きオンライン」では、真理探究の道で出会われた聖典にまつわるお話をしてくださるようです。

「道なき道を歩む」第一回 たちまち

「岩戸開きオンライン」開始にともない、今回より寄稿する運びとなった。
平安と幸福を真に求める方々に贈る。

この連載では、主に様々な聖典の一文を引用し、それについての解説をしたいと思う。
とはいえ、自由奔放に生きているがゆえ、気分次第では、時とタイミングによって、まったく異なる記事を掲載することになるかもしれない。
少なくとも、楽しむことを忘れてほしくはない。ジョークは必要である。いつの時代も真理は比喩や譬え話を用いて語られてきた。

私は小説という技法で同じように語ってきた。物語を理解できなければ、真理を理解することもできず、真理を理解しなければ、物語もまた理解できない。
偉大なる神秘は、いつも純粋なる子供のように、真剣に遊ぶものにひそかに与えられることであろう。遊びのない真剣さは苦痛であって、遊びばかりで真剣さがなければ、堕落となる。この天秤は、どちらかに傾いてはいけないのである

 

身体のことは忘れ
あなた自身の気づきの内にとどまりなさい

たちまち、あなたは幸せになるだろう
永遠に安らかに
永遠に自由に

『アシュターヴァクラ・ギーター』(ナチュラルスピリット)より、1真我−4


初回は、『アシュターヴァクラ・ギーター』のこの一節を引用したい。この一文には、「最初で最後となる」、単純極まりない道理が述べられている。多くの探究者は、「私は思考でもなく身体でもない」という知的理解は可能であろう。けれども、ここに記されている一言を見逃してしまうことがある。それは「たちまち」である。そしてこの「たちまち」は、知的理解では到達できない領域にある。つまり、事実として直接認識するしか他にないのだ。

アシュターヴァクラは、「気づきにとどまりなさい、そうすれば、やがて幸せになるだろう」とは述べていない。「たちまち」とは、気づきにとどまったとたん、あなたは幸せになるだろうという意味だ。すなわち、ここには時間も空間も必要ない。
そして、まさにこれが瞑想である。
「私は身体であり、これから座って瞑想をする」とは、瞑想でもなんでもない。これは行為であって、真の瞑想とは行為ではないからだ。
もしも行為があれば、「やがて」何かを達成することはあり得るかもしれない。けれども、「やがて」幸せになるというのは妄想であり、幻想でしかない。
なぜなら、幸せとは今この瞬間にのみ可能だからである。
それゆえ真の瞑想とは、「瞑想する」というものではない。瞑想者の不在、瞑想という行為の不在こそが、瞑想と呼ばれるべきものなのである。

私は常に学徒に対してこのように伝えている。「瞑想とは何か。それは真の自己すなわち真我として在る、ただこれだけが瞑想なのです」と。
それ以外の何も、瞑想と呼ぶことはできない。ヴィパサナー瞑想(気づきの瞑想)もまた、同じことである。
もしもそこに「私は瞑想します」という瞑想者、行為者がいるのなら、それはどこまでいっても瞑想にはならない。

 

たちまち、あなたは幸せになるだろう。
まさに、である。時間も空間も努力も必要ない。気づきにとどまれば、あなたは真我だ。真我は幸福そのものである。
「たちまち」という何気ない一言に、最も重要な要素が含まれている。そう、「すぐに、刹那に、ただちに、とたんに、あなたは幸せになる」のだ。
そして、もしもこの事実を見出せなければ、いくら瞑想という行為に励むとしても、手の届かない地平線のように、たどり着くことは皆無であろう。

 

もし自由になりたいのなら

感覚のもたらす毒を避けなさい

『アシュターヴァクラ・ギーター』(ナチュラルスピリット)より、1真我−2

 

感覚とは身体に関わるものである。アシュターヴァクラは言い続けている、「あなたは身体ではない」と。
それゆえ、この一文は、「身体を避けなさい」と同義でもある。
身体のことをあれこれ考えて、幸せになることはあり得ない。気づきは身体に属するものではないのである。
つまり、「気づきにとどまること」そのものが、身体からの自由、あるいは身体を超越することを意味している。

身体に関わるものには、時間と空間が関与している。それらはいつも、「やがて」というセリフを背負っている。
ところが、真理とはいつもこの瞬間に啓示されているのであり、時間と空間というイメージのなかには見つけることができないのだ。

気づきにとどまりなさい。あなたはたちまち幸せになるだろう。

この一文を安易に捉えてはいけない。なぜなら、「たちまち」という刹那を逃してしまえば、しばらくの間は夢を彷徨うことになるからである。


さて、今回はこれで終了となる。読者の皆様に敬意と感謝を込めて。

これまでの聖典の中の美しい閃きの瞬間を、この場を借りて共有できることは、ただただ恩寵だけが為す技といっても過言ではない。

自分が何なのかを知らないことは、もっとも不幸なことである。
自分が何なのかを知っていることは、比類のない幸福そのものである。
オーム、シャンティ、シャンティ、シャンティ。

 

紹介された本

『アシュターヴァクラ・ギーター』
トーマス・バイロン、福間巌訳
ナチュラルスピリット
1,800円+税

誰によって、いつ書かれたかは定かではないが、時を経て愛される一冊。ラマナ・マハルシ、ラーマクリシュナ、ヴィヴェーカーナンダ、ニーム・カロリ・ババ・・・古来より、インドの聖賢すべてに愛され、賛嘆され、語り継がれてきた真我探求のための聖典。

ヘルメス・J・シャンブ
1975年生まれ。30代前半、挫折と苦悩を転機に、導かれるように真理探求の道に入る。さまざまな教えを学び、寺で修業し、巡礼の旅に出るが、最終的に「全ては私の中に在る」と得心、悟入する。数回に分けて体験した目覚めにより、ワンネス(一つであること)を認識し、数々の教えの統合作業に入る。「在る」という教えは、これまでの師たちの伝統的な教えであるため、師たちの名前を借りて「ヘルメス・J・シャンブ」と名乗り、初著作『“それは在る』を執筆。 その後『道化師の石(ラピス)』『ヘルメス・ギーター』、独自の世界観を小説で表現した『プルートに抱かれて』などを刊行。現在は、ナチュラルスピリットの個人セッションなどで、探求者たちに教えを伝えている。

https://twitter.com/hermes_j_s
https://note.com/hermesjs

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『 “それ”は在る』
ヘルメス・J・シャンブ 著
ナチュラルスピリット
2,200円+税


『道化師の石 BOX入り1巻2巻セット』

ヘルメス・J・シャンブ
ナチュラルスピリット
3,300円+税


『へルメス・ギーター』
ヘルメス・J・シャンブ 著
ナチュラルスピリット
2,150円+税


『プルートに抱かれて』
ヘルメス・J・シャンブ 著
ナチュラルスピリット
1,500円+税


『知るべき知識の全て I 』
ヘルメス・J・シャンブ 著
ナチュラルスピリット
2,150円+税

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